大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和28年(行)18号 判決

原告 福井一郎 外四名

被告 国・大阪府知事

被告国補助参加人 藤田源吉 外一名

主文

一、本訴中

(1)  別紙第一物件表記載の(一)の宅地一〇、七五坪につき、被告国との関係で所有権の確認を求める部分(請求の趣旨第一項の一部)、および被告知事との関係で買収、売渡処分の無効確認を求める部分(請求の趣旨第三項の一部)

(2)  被告知事に対し別紙第一物件表記載の(二)の宅地五三、二五坪につき、昭和三一年一二月七日大阪法務局中野出張所受付第三一、九四六号をもつてせられた農林省名義の所有権取得登記の抹消登記手続を求める部分(請求の趣旨第四項)

はいずれもこれを却下する。

二、被告知事との関係で、同被告が昭和二三年一〇月二日別紙第一物件表記載の(二)の宅地および、別紙第二物件表記載の建物につきなした買収ならびに売渡処分は無効であることを確認する。

三、被告国との関係で、前項記載の物件は、原告らの所有であることを確認する。

四、被告国は、別紙第一物件表記載の(二)の宅地につき、大阪法務局中野出張所昭和三一年一二月七日受付第三一、九四六号をもつてなされた農林省のための所有権取得登記の抹消登記手続をせよ。

五、訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

当事者双方の申立

(原告ら)

「一、被告国との関係で別紙第一、二物件表記載の宅地建物は原告らの所有であることを確認する。

二、被告国は、大阪府知事をして別紙第一物件表記載の(二)の土地につき、昭和三一年一二月七日大阪法務局中野出張所受付第三一、九四六号をもつてなされた農林省のための所有権取得登記の抹消登記手続をなさしめよ。

三、被告知事との関係で別紙第一、二物件表記載の物件につき、昭和二三年一〇月二日なした買収ならびに売渡の各処分は無効であることを確認する。

四、被告知事は、別紙第一物件表記載の(二)の宅地につき、昭和三一年一二月七日大阪法務局中野出張所受付第三一、九四六号をもつてせられた農林省のための所有権取得登記を国の承認のもとに抹消登記手続をなせ。

五、補助参加の申出はこれを却下する。

六、訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決を求めた。

(被告ら)

本案前

「原告らの訴を却下する」

本案

「一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの連帯負担とする」

との判決を求めた。

当事者双方の主張

(原告ら)

(請求の原因)

一、大阪市東住吉区農地委員会(以下東住吉区委員会と略称)は昭和二三年七月藤田福松の申請により、福井和一郎所有の別紙第一、二物件表記載の宅地、建物につき、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称)第一五条に基づき、昭和二三年一〇月二日を買収の時期とする買収計画を定め、被告知事は右買収計画に基づきこれを買収し、ついで同年同月同日これを右福松に売り渡したうえ、右宅地につき同人への所有権移転登記がなされた。右福井和一郎は昭和二四年二月八日買収令書を受領したが、同年六月一八日死亡し、原告らが同人の遺産を相続した。

二、しかし右買収処分には次に述べる違法事由があり、無効である。

(一)  買収の対象が不特定である。

本件買収処分の対象物件は、大阪市東住吉区平野梅ケ枝町五丁目六二番地、宅地六四坪および同地上木造瓦葺平家建居宅、建坪一三・〇八坪と表示されている。

しかし右建物は、未登記で、家屋台帳上同所六一番地上に存するもので、六二番地上には存在しないし、六二番地宅地六四坪は原告らが現に占有使用中のものである。

また買収の対象物件は事実上特定されているのみならず、買収計画、買収令書においても特定されていることを要する(昭和二六年三月八日最高裁判所判決参照)が、本件買収は木造瓦葺平家建居宅二戸一棟二六・一六坪の建物のうちどの部分を買収するものか買収計画書、買収令書において特定されていない。(右建物は現在なお家屋台帳には原告らの先代福井和一郎名義で登載されている。甲第二号証参照)

(二)  買収申請人福松は本件宅地、建物につき買収申請資格を有しない。

(イ) 福松は右申請当時自創法第一五条第一項にいわゆる「自作農となるべき者」ではなかつた。同人が本件宅地建物の買収申請をしたのは昭和二三年七月上旬であり、当時既に買収ずみの左記農地五筆につき、同人はその頃その買受の申込みをしていた。

(1) 大阪市東住吉区平野堂町四六三番地 田、一畝二三歩

(2) 同所         四六四 〃 〃  一反五歩

(3) 同所         四六五 〃 〃    四歩

(4) 同所         四六六 〃 〃    四歩

(5) 同所         四六七 〃 〃  一畝一歩

しかし、東住吉区委員会が、これらの土地につき、福松を売渡の相手方とする売渡計画を定めたのは右(1)(2)の農地については昭和二三年九月一七日、(3)、(4)、(5)の農地については昭和二四年二月二一日であるから、福松が本件宅地建物の買収申請をした昭和二三年七月当時同人は自作農ではなく、「自作農となるべき者」でもなかつた。

被告らは、前記(1)ないし(5)の土地を福松に売り渡したが、右土地を学校敷地に転用することゝなつたため、右売渡処分を取り消し、他の八筆の替え地を売り渡したから福松は買収申請当時「自作農となるべき者」であつたし、現在自作農となつている、と主張するが、前の売渡処分を取り消して替え地を売り渡したということは単に経済的に同価格の農地を売り渡したというにすぎず、これにより買受け申込みの資格をえたことにはならない。

(ロ) 福松は本件建物については賃借権を有するが、本件宅地については賃借権を有しない。

仮に本件家屋の買収に附随してその敷地の買収が法的に許されるとしても、それは本件建物(別紙図面B)の敷地の部分のみを買収しうるにすぎない。別紙図面Dの納屋は福松が賃借してはいるが、買収されなかつたのであるから、その敷地のみの買収は違法である。したがつて本件宅地、建物を一括して買収した処分は無効である。

また、原告らの本件提起後、六二番地六四坪のうち、福松の使用していなかつた一〇・七五坪(六二番地の二)についての売渡処分、買収処分が取り消されたことは被告らの主張するとおりであるが、それによつて先の買収処分が有効になるものではない。

(三)  本件宅地、建物は自創法第一五条第一項の買収の対象とはならない。

同条が農地以外の宅地、建物その他いわゆる附帯施設の買収を認めるのは、それらの施設が売渡を受けた当該農地による農業経営に必要な場合、すなわち、当該農地に付属している場合に限られる。ところが、福松は専業農家ではなく、本件宅地、建物は同人が売渡を受けた農地の農業経営に必要なものでもない。

福松は本件宅地、建物を政府において買収すべき旨の申請をした当時から農業用に使用する意思のなかつたことは次の事実より明らかである。同人は農地開放により売渡を受けた農地を担保に金融業者より金融を受け(甲第一〇号証の一ないし八、第一一号証の一ないし一〇参照)、右資金により生計を立てており、中庭(別紙図面F)には居宅としての家屋を新築した。同人は明治元年生の老齢で農業に従事することは不可能であり、右売渡を受けた農地を宅地として次々と他人に売り渡し、昭和三四年三月現在には一筆残らず売り渡し、完全に農業者ではなくなつた。その同居の家族は孫福太郎(大正九年生)、その妻里江(大正一二年生)およびその長男、長女の五人で(甲第一三号証参照)、右藤田福太郎は昭和三二年九月密田らと土木建築業等を営む密田建設株式会社を設立し、本件家屋にその本店を置き、電話(79)〇〇七一番、三三一九番を架設し、福太郎は右会社の取締役に就任している。右のとおり本件土地は家屋を農業用施設としては全く利用していない。さらに本件宅地も昭和三四年一二月七日藤井春生に所有権を移転し、翌日その登記を了している(甲第一六号証参照)。のみならず本件宅地、建物は平野地区の繁華街に位置し、もともと農業用施設としては不適当な場所にある。

(四)  買収の対価は時価によるべきであるのに、本件の対価は時価より著しく低い。

(五)  本件買収に関する買収計画その他の各行政処分は、その手続上違法であり適法に行われていない。

三、以上の理由により本件宅地、建物の買収、したがつてこれにつづいて行われた売渡処分はいずれも無効であり、本件宅地、建物は原告らの所有である。

本件宅地の一部一〇・七五坪については前記のとおり売渡買収処分が取り消され、登記も一旦全部抹消されたが、本件宅地のその余の部分(第一物件表記載の(二)の宅地)については昭和三一年一二月七日大阪法務局中野出張所受付第三一九四六号をもつて昭和二三年一〇月二日自創法の買収を原因とする農林省のための所有権取得登記がされている。 よつて、被告国との関係で、別紙第一、二物件表記載の宅地、建物は原告らの所有であることの確認を求め、同被告に対し前記農林省のための所有権取得登記の抹消登記手続を大阪府知事をしてなさしめることを求める。

被告大阪府知事との関係で、別紙第一、二物件表記載の宅地、建物につき、同被告がなした買収、売渡処分の無効確認を求め、同被告に対し別紙第一物件表記載の(二)の宅地についての前記農林省のための所有権取得登記の抹消登記手続をなすべきことを求めるものである。

なお福松が本件訴訟に被告国のために補助参加しているが、そもそも補助参加は訴訟の係属中、第三者が当事者の一方を勝訴させるため訴訟に参加し、これを補助して訴訟を進行する形態である。被告兼補助参加人代理人は補助参加人において取得時効の要件が完成しているので、本訴物件の所有権は福松に帰属すると主張するが、取得時効を援用することは補助参加の概念に反し、被参加人被告国を敗訴させる結果となり、参加の利益がない。したがつて補助参加の申出は却下する、との判決を求める。

先に「補助参加の申出許可」の決定があり、これに対し即時抗告はしていないが右決定は無効である。

(被告らの時効の抗弁に対する答弁)

福松が原告らを相手に被告ら主張の所有権確認の訴を提起したことは認めるが、被告ら主張の取得時効の要件事実は争う。

被告らの抗弁は次に述べる理由により失当である。

(1)  被告国の補助参加人福松が時効の援用をしたのは別訴大阪地方裁判所第七九号所有権確認請求事件の昭和三五年三月一四日の口頭弁論においてであるが、福松はこれに先立つ昭和三四年一二月八日藤井春生に本件宅地の所有権を移転しているから福松の訴訟代理人が時効の援用をした前記時点においては既に福松の相続人ら(福松は昭和三四年一二月三〇日死亡した)は所有権者ではなかつたわけであり、右時効の援用は無効である。

(2)  別紙第一物件表記載の(二)の宅地五三・二五坪の地上に原告らは本件買収処分以前から引きつゞき今日まで納屋を所有し、福松に引きつゞき賃貸し、同人は原告らに納屋の賃料を支払つている。したがつて右土地の占有は福松には移つておらず原告らが占有している。

(3)  本件買収処分により買収された宅地六四坪のうち一〇・七五坪は原告居住家屋の敷地の一部であり、その余の部分のうちには福松が賃借使用している納屋が建つていることは福松において右買収当時よりよく知つているところである。したがつて福松においては右買収処分には重大、明白なかしがあることを知りうべきであり、気がつかなかつたとすれば、同人の注意義務の不足によるものである。すなわち福松は「占有ノ始善意ニシテ且過失ナカリシトキ」というわけにはいかない。

(4)  原告らが本件宅地、建物の買収、売渡処分につき、国および大阪府知事を相手取り本訴を提起し審理中であることは福松も本訴の検証の際現場に来合わせていたので知つているはずであるから、同人は一〇年間所有の意思で平穏、公然、善意、無過失で本件不動産を占有していたことにはならない。

(5)  本件宅地を福松は従来賃借人として占有していたが、右宅地の買収処分により所有権は原告ら先代福井和一郎より国に移転したので、福松の賃借人としての占有は消滅した。しかし和一郎より国への土地の引渡はされていないから、占有は依然として原告らにある。したがつてたとえ売渡処分により福松に所有権が移転したとしても和一郎より国への引渡がなされていないのであるから、福松に占有が移るはずがない。

(6)  取得時効は売渡処分の日よりではなく、売渡処分による所有権取得登記の日より起算すべきである。

不動産に関する物権の得喪は登記をしなければ第三者に対抗できないのであるから、取得時効の場合にも「所有ノ意思ヲ以テ平穏且公然ニ他人ノ不動産ヲ占有シタ」ことを第三者に主張対抗できるためには登記を要するものというべきである。

さらにまた「公然に」他人の不動産を占有したといえるためには不動産の所有名義が登記により公にされ、これに基づく占有でなければならないというべきである。

取得時効は時効の始期より終期まで時効進行中時効の被援用者が時効中断の権利を行使せずして所定の期間経過した場合に所定の要件を備えた時効援用者にその物の所有権を取得させるものであるから、取得時効の始期に時効の中断権も発生し、時効の終期に至り中断権も消滅するのである。もし被告らの主張するとおり売渡処分の日より時効が進行するとすれば、売渡処分は福松と政府のみの関係でそのことは第三者には公に示されていないのであるから、売渡処分の日である昭和二三年一〇月二日より売渡処分による所有権取得登記の日である昭和二五年七月二八日までの一年九月二七日の間は第三者たる原告らは中断権を行使しようにもできない状態にある。したがつて売渡処分の登記の日をもつて取得時効の始期であり、中断権発生の時期と解するのが正しい。

本件の宅地につき売渡による福松の所有権取得登記のなされたのは昭和二五年七月二八日であり、それより一〇年を経過していない昭和三五年七月一八日原告らは福松の相続人である藤田タネ、同源吉両名に対し通告書(甲第一七号証の一、二)で明渡の請求をしているので時効は中断されている。

(7)  政府は別紙第一、二物件表記載の宅地、建物を昭和二三年一〇月二日買収のうえ、福松に売り渡し、昭和二五年七月二八日宅地につき福松のための所有権取得の登記をしたが、その後被告知事は本訴中昭和三一年一二月七日右宅地六四坪を平野梅ケ枝町五丁目六二番地の一、宅地一〇・七五坪と同所同番地の二、宅地五三・二五坪とに分筆の登記をした。したがつて福松の売渡処分による所有権取得登記に基づく所有の意思をもつてする占有は前記登記の日である昭和三一年一二月七日に右分筆登記の五三・二五坪および同地上家屋につき始まつたことになり、時効は同日より進行を始めいまだ完成していない。

(被告ら)

(本案前の申立の理由)

仮に本件買収処分に原告ら主張のような違法な点があつたとしても、次の理由により原告らはもはや右処分の無効確認を求める利益がない。

買収処分の無効確認を求める訴は買収処分が無効なのであるから、買収処分によつて形式的に失つたことになつている所有権がなお原告らにあることの確認もしくは原状回復を求める訴であるということができる。したがつて無効確認の訴は判決の結果、所有権が原告らに復帰する可能性のある場合でなければならない。買収処分の目的物が現存しない場合、物理的には存在しても所有権が原告らには属しないこと、もしくは原告らに復帰しないことの法律的構造が設定されている場合はともに無効確認を求める利益がない。

本件宅地、建物は物理的には現存するが、現在既にその所有権は原告らには復帰しない法律的構造が設定されている。本件宅地、建物は買収処分によつて政府が原始的に所有権を取得したうえ、昭和二三年一〇月二日を売渡の時期とする売渡通知書は昭和二四年三月一日藤田福松に交付され、同人はこの日より本件宅地、建物を所有の意思をもつて占有し今日に至つている。福松は国から売り渡しを受けて占有を始めるに当り過失もない。売渡処分の前になされた別個の行政処分である買収処分に裁判によらなければ判明し難いようなかしがあることを福松が知り、もしくは知りえたであろうはずがない。

右のとおり補助参加人福松は本件宅地、建物を占有する始め、善意にして過失なく一〇年間平穏、公然に占有してきたから、昭和三四年三月一日をもつて取得時効により本件宅地建物の所有権を取得した。福松は原告らに対し時効を援用して本件宅地建物の所有権確認の訴を提起した。

したがつて仮に本件買収処分が無効としても原告らは現在としてはもはや本件宅地建物の所有権を回復することは絶対に不可能なのであるから、本件買収処分、売渡処分の無効確認を求め、登記の抹消を求める本訴は訴の利益がないから却下さるべきである。

(被告らの抗弁に対する原告らの主張について)

補助参加人が時効を援用した時には本件宅地の所有権が訴外人に移転していたことは認める。

(本案の答弁)

一、原告ら主張の一の事実は認める。たゞし東住吉区委員会は昭和二三年七月二五日買収計画を定め、同日その旨公告し、同月二六日から同年八月四日までこれを縦覧に供したが、福井和一郎から異議の申立がなく、大阪府農地委員会は同年九月三〇日右買収計画を承認した。また福井和一郎に買収令書を交付した日は、本件宅地に対する買収令書については原告ら主張のとおり昭和二四年二月八日であるが、本件建物に対する買収令書については同月二三日である。

二、原告ら主張二の違法はない。

(一)  本件買収処分においてその対象物件を大阪市東住吉区梅ケ枝町五丁目六二番地宅地六四坪および同地上、木造瓦葺平家建居宅、建坪一三・〇八坪と表示されていることは認める。しかし

(イ) 本件建物はその北側の一戸とともに建坪二六・一六坪の一棟の建物を形成していて、この一棟の建物は買収計画当時未登記であり、家屋台帳上同所六一番地上に存在する旨記載されているが、右六一番地上にあるのは右二戸一棟の建物のうち北側の一戸であり、その南側の一戸である本件建物は六二番地(本件宅地)上にある。したがつて本件宅地はその地上にある本件建物の賃借人福松が使用している。

(ロ) 買収計画書および買収令書には本件建物が右六二番地上の建物であることが明示されているし、建物の買収である以上、一戸の買収であることは客観的に明白であり、かつ、六二番地上には本件建物以外の建物は存在しないから、本件建物が右南側の一戸を指すものとして特定されているとともに福松の農業経営上必要な建物は北側の一戸ではなく、南側の本件建物であることは客観的に明白である(本件訴状の物件の表示よりみても原告ら自身の南側の一戸が買収の対象となつていることを認識していることが分る)。

したがつて買収対象が不特定であるという原告らの主張は理由がない。

(二)  福松は本件買収申請資格を有する。

(イ) 福松は右申請当時自創法第一五条第一項にいわゆる「自作農となるべき者」である。同人は全興寺からその所有の

(1) 大阪市東住吉区平野野堂町四六三番地、田、一畝二三歩

(2) 同所          四六四番地、田、一反五歩

(3) 同所          四六五番地、田、四歩

(4) 同所          四六六番地、田、四歩

(5) 同所          四六七番地、田、一畝一歩

の五筆の農地を賃借耕作していたが、右五筆の農地はいづれも昭和二三年三月二日を買収の時期として買収されたので、福松は同年七月上旬右農地につき買受けの申込をし、「自作農となるべき者」として、同日本件宅地建物の買収申請をした。東住吉区委員会は昭和二三年九月一七日右(1)、(2)の農地につき同人を売渡の相手方とし、同年三月二日を売渡の時期とする売渡計画を定め、被告知事は同年一〇月一七日売渡通知書を同人に交付してこれを売り渡し、また東住吉区委員会は昭和二四年二月二一日右(3)、(4)、(5)の農地につき同人を売渡の相手方とし、昭和二三年三月二日を売渡の時期とする売渡計画を定め、被告知事は昭和二四年四月売渡通知書を同人に交付してこれを売り渡した。その後右(1)ないし(5)の農地を学校敷地に転用することゝなつたため、東住吉区委員会は昭和二五年三月二四日福松の同意をえて右各農地に対する売渡計画を取り消し、大阪府農地委員会は同月二八日右売渡計画に対する売渡処分を取り消した。しかし右売渡処分の取消は事情の変化に基づくもので、本来自創法第二八条により国において買い取るべきものであつたのを便宜上売渡処分の取消という形式で処理したものにすぎない。したがつて右取消の効果は売渡処分の当初にさかのぼつて生ずるのではなく、取消処分のあつた日以降その効力を生ずるにすぎない。そうすると右取消がなされたからといつて、売渡処分が初めからなかつたということにはならず、本件宅地、建物の買収申請当時、福松が「自作農となるべき者」であつたことは変りない。そうして福松に対する替え地として、これより先昭和二三年三月二日を買収の時期とする買収により国の所有となつていた大阪市東住吉区平野流町六七三番地、田、二畝二九歩外七筆合計四反一畝二〇歩の農地の耕作者が耕作しないことになつたので、右八筆の農地を福松に売り渡し、その売渡通知書は昭和二三年一一月四日および昭和二四年三月一日の二回に同人に交付されている。したがつて現在は自作農となつている。

(ロ) 福松は本件宅地、建物の賃借人である。仮に同人が本件宅地につき賃借権を有しなかつたとしても、同人に本件建物を賃貸した以上その敷地である本件宅地の使用をも許したものと解すべきであるから、本件宅地につき使用貸借の関係が成立しているものというべきである。もつとも本件宅地六四坪の買収後、このうちの一〇・七五坪は福松において従来から使用していなかつたことが判明したので被告知事は同人の同意をえて昭和三一年五月九日右部分の同人への売渡処分を取り消すとともに、この部分の買収処分をも取り消し、福松および原告らにそれぞれその旨通知した。登記簿も六二番地宅地六四坪を六二番地の一、宅地一〇・七五坪と六二番地の二、宅地、五三・二五坪の二筆に分筆され、六二番地の一については買収による農林省への所有権取得登記、売渡による福松への所有権取得登記は抹消されている。

したがつて右六二番地の一の部分はすでに原告らの所有に帰したから本訴のうちこの部分は訴の利益がなくなつた。

右取り消された以外の部分、すなわち六二番地の二、宅地五三・二五坪(別紙図面BFD)は全部福松が使用する宅地で、その宅地の一部(別紙図面D)に買収されていない原告ら所有の納屋があるが、その納屋は福松が借り受けているのであるから、その部分の買収がかりに違法としても、そのかしは買収処分を無効ならしめるほどのものではない。

(三)  本件宅地、建物は耕作の業務を営む福松が自ら使用し、その農業経営上必要なものであるから、自創法第一五条第一項の買収の対象となる。本件宅地、建物が繁華街にあるとしても、それは本件買収処分の取消原因とはなつても無効原因ではない。

(四)  買収の対価についての不服は自創法第一四条の訴によるべきものであり、対価の不当を理由として買収処分の効力を争うことは許されない。

三、以上により原告らの本訴請求はいずれも失当である。

立証(一部省略)

(職権で調べた証拠)

(1) 証人。藤田福太郎

(2) 原告本人。福井一郎(第二回)

理由

(本訴中不適法な部分についての判断)

一、東住吉区委員会が昭和二三年七月藤田福松の申請により、福井和一郎所有の別紙第一、二物件表記載の宅地、建物につき、昭和二三年一月二日を買収の時期とする買収計画を定め、被告知事が右買収計画に基づきこれを買収し、昭和二三年一〇月二日これを右福松に売り渡し、右宅地につきその旨の所有権取得登記をしたこと、本訴提起後右宅地の一部一〇・七五坪は福松が使用していないことが判明したので、被告知事はこの部分の売渡処分ならびに買収処分を取り消したこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、右宅地の一部につき買収、売渡の各処分が取り消されたのに伴い、宅地の所有権取得登記も一旦全部抹消されたが、右宅地のその余の部分(別紙第一物件表記載の(二)の宅地)について、昭和三一年一二月七日原告ら主張のような登記がなされたとの原告主張の事実は被告らの明らかに争わないところであるので、自白したものとみなされる。

右のとおり、別紙第一物件表記載の(一)の宅地一〇・七五坪については買収処分、売渡処分が取り消され、登記も元に戻されていて、被告国が原告らの所有権を否定するような事実もないのであるから、原告らはもはやこの部分については、買収、売渡処分の無効確認や所有権確認を求める利益はないものというべきである。

二、原告らは被告知事に対し、買収による農林省名義の所有権取得登記の抹消登記手続を求めているが、右訴は国を被告とすべきで、大阪府知事は被告適格を有しない(昭和三四年四月一六日最高裁判所第三小法廷判決、民集一三巻六号七一八頁参照)。

三、よつて、本訴中の右部分はいずれも不適法である。

(本案についての判断)

一、原告ら主張二の(一)について。

本件買収処分の対象物件が大阪市東住吉区平野梅ケ枝町五丁目六二番地、宅地六四坪(その後一部取消により同所六二番地の二宅地五三・二五坪)および同地上木造瓦葺平家建居宅建坪一三・〇八坪を表示されていること、右建物は木造瓦葺平家建居宅、建坪二六・一六坪の建物の一部であること、福松が賃借していたのは右建物のうち南側の一戸であること、家屋台帳上右建物は六一番地上にある旨記載されていることは当事者間に争いがない。

大阪法務局中野出張所備付地図の検証、本件宅地建物の検証(第一、二回)の各結果と原告福井一郎本人の供述(第一回)を総合すれば、梅ケ枝町五丁目六一番地は六二番地の北に接する土地であること、右木造瓦葺平家建居宅、二戸一棟、建坪二六・一六坪の建物は六一番地と六二番地にまたがつて建てられており、二戸一棟の建物の南側の一戸と北側の一戸の境界と、宅地六一番地と六二番地の境界と一致するかどうか原告福井一郎自身にも明らかでないことが認められる。したがつて家屋台帳上右二戸一棟の建物が六一番地上のみに存するごとくに記載されているのは事実に反するものと認められる。

右のとおり福松の賃借建物は南側の一戸であり、買収令書に買収物件として六二番地上、居宅一三・〇八坪と表示している以上、本件買収は南側の一戸を対象としたものであることは関係当事者間に疑いをいれない程度に明白であつたといえるし、また建物の南北の境界と宅地の六二番地、六一番地の境界と一致するかどうか原告福井一郎にすら明らかでないのであるから、かりに南側の一戸のうちの一部が六一番地の一部にかゝつていたとしても、買収の対象物件を六二番地上と表示したことは明白なかしとはいえない。

二、原告ら主張二の(二)、(三)について

(一)  福松が本件宅地、建物の買収申請をした昭和二三年七月上旬現在において同人はすでに原告ら主張の大阪市東住吉区平野野堂町四六三番地、田、一畝二三歩外五筆計一反三畝〇七歩の農地(原告ら主張二(二)(イ)に記載のもの)の買受申込をしていたこと、右のうち二筆(前同(イ)の(1)(2)の農地)は昭和二三年九月一七日、残三筆(前同(イ)の(3)、(4)、(5)の農地)は昭和二四年二月二一日に福松を売渡の相手方とする売渡計画が定められたことは当事者間に争いがなく、証人西田伝次郎の証言によれば右五筆はその後右売渡計画に基づき、昭和二三年一〇月一七日および昭和二四年四月の二回に福松に売り渡されたことが認められる。

右事実によれば、福松は本件宅地、建物が買収された昭和二三年一〇月二日当時はまだ農地の売渡を受けていなかつたのであるが、買受の申込をしていた以上、同人が農地売渡の相手方としての適格者であるならば、宅地建物買収申請資格者としての、自創法第一五条にいわゆる「自作農となるべき者」に該当するものとして差支ない。

ところで自創法第一六条によれば買収農地の売渡を受けるのは「自作農として農業に精進する見込のあるもの」とせられている。福松は果して右条文に該当するであろうか。

真正に作成されたものであることにつき争いのない甲第六号証中の福松の戸籍謄本、甲第一一号証の一ないし一〇、第一四、第一六号証、乙第八号証の一、二、三、第一七号証、原告福井一郎本人の供述により真正に作成されたものと認められる甲第四、第八号証、証人西田伝次郎、同藤田福松、同藤田福太郎の各証言、原告福井一郎本人の供述(第一、二回)ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

福松は生来の農家の出身ではなく、二二、三才の頃より平野紡績株式会社に勤めていたが、その後同会社をやめ、自分も幾分の出資をして葬儀店を始め、かつ土地を借りて農耕をするようになつた。一時は一町歩位耕作していたこともあつたが、昭和二三年頃は二、三反しか耕作していなかつた。同人は本件家屋には明治二七、八年頃より居住しているが、昭和二三年頃右家屋に居住していたのは、明治元年一一月三〇日生の福松、同人の孫福太郎(大正七年三月一八日生)、福太郎の妻里江(大正一二年一二月一〇日生)、ひ孫の実(昭和二〇年生)、杏子(昭和二二年生)の五人で福太郎は中央卸売市場に勤め、配給組合役員の職についており、同人の妻は家事に従事していたので、畠仕事に従事していたのは主に福松一人で、時たま福太郎が手伝いまた年に二、三回農繁期に福松の婿養子で南河内郡美原町に住み、大阪府立女子大の園芸園の管理人をしている藤田源吉(明治二六年二月一日生)が手伝いに来ていたにすぎない。

政府より福松に売り渡された前記五筆の農地はその後摂陽中学校の敷地に転用されることゝなつたため、右五筆の売渡処分は取り消され、その替え地として国において買収済みの

(1) 大阪市東住吉区平野流町六七六番地、田、一反五畝一歩

(2) 同所         六七七番地の一、田、九畝一歩

(3) 同所          同番地の二、田、  二六歩

(4) 同所          同番地の三、田、四畝一八歩

(5) 同所          同番地の二、田、一畝二六歩

(6) 同所          六七三番地、田、二畝二九歩

(7) 同所          六七四番地の一、田、七畝歩

(8) 同所          六七五番地、田、   九歩

の八筆、計四反一畝二〇歩の農地を昭和二三年一〇月二日と昭和二四年二月一四日の二回に分けて売渡を受けたが、福松は昭和二三年七月(農地買受申込をした時)現在ですでに満七九才八月、数え年八一才の老齢で、前記のとおり畠仕事をするのはほとんど同人一人であるため売渡を受けた農地も主に野菜を作る程度で米作はわずかであり、昭和二八年度の米の供出は二升二合にすぎない。福松の農業による収入はわずかなもので、同家の家計は主として福太郎の勤務先よりの収入によつていた。福松は昭和三四年一二月三〇日に死亡したが、まだ生存中の昭和三四年七月末現在ですでに政府より売渡を受けた前記八筆の農地のうち前記(2)の平野流町六七四番地の一、田、七畝歩のうち、二畝二〇歩を除いて他はことごとく他に売却してしまつており、さらに福松の死亡後昭和三五年三月一四日(証人藤田福太郎尋問の日)現在では農地は全然残つていない。

また建物についてみると昭和三二年九月二一日福松の同居の孫福太郎が取締役の一人となつて設立された土木建築業等を営む密田建設株式会社の本店が本件家屋におかれ、昭和三三年三月三日(第二回現場検証の日)現在では、本件建物は事務所に改装されており、農業経営には利用されていない。

そして福松死亡前の昭和三四年一二月七日には本件宅地も代物弁済により他人に所有権移転せられ、同月八日その旨の登記がせられている。

以上の事実が認められる。右認定のとおり、昭和二三年七月福松が農地買受の申込をした時現在の状況として、福松一家は数え年八一才の福松一人が畠仕事をするにすぎず、別居している婿養子源吉、同居の孫福太郎もそれぞれ別の職業を有し、かたがた買受申込をしていた農地というのも祖先伝来の農地ではないので、家族の農地に対する愛着度も祖先伝来の農家の場合に比べれば薄いというべく、福松が死亡した後、ないしは働けなくなつた後、家族が跡をついで農業をするという態勢にはなかつたのである。売渡を受けた農地のほとんど全部を福松の生存中において既に他に売却したのも農地の売渡を受けた後に事情が変つたためとみるべきではなく、売渡当時すでに十分予想されたところであつて、正に予想されたことが予想されたとおりになつたというにすぎない。

右認定の事実よりすれば福松は自創法第一六条にいわゆる「自作農として農業に精進する見込のある者」とはとうてい認め難い。したがつてまた福松は宅地建物の買収を申請できる「自作農となるべき者」には該当しないというべきである。

(二)  自創法第一五条による宅地、建物の買収ができるのは、売渡を受ける適格者の申請によるべきはもちろんのこと、その宅地、建物が売渡農地の農業経営に必要な場合に限るのであり、本件買収計画の定められた昭和二三年当時においても、その後昭和二四年法律第二一五号により改正されて付け加えられた自創法第一五条第二項に該当する事情ある場合は買収できないものと解すべきである(昭和二八年一二月一八日最高裁判所第二小法廷判決民集七巻一二号一四五六頁参照)。

ところで本件家屋を賃借する福松および同居の家族の主な収入は福松と同居する福太郎の勤務先よりのものであつたことは先に認定したとおりである。

また現場検証(第一回)の結果ならびに証人藤田福太郎の証言、原告福井一郎本人の供述(第二回)を総合すれば、本件宅地、建物の周囲はすべて住宅街であり、本件宅地、建物から北へ約二五メートル行けば東西に通ずる商店街があり、昭和二三年当時すでににぎやかな街となつていたことが認められる。

(三)  前記のとおり福松は本件買収当時その年齢耕作状況、家族構成等よりみて本件宅地建物の買収を申請すべき適格を有しなかつたこと、同家の主たる所得は農業以外の職業からえられていたこと(自創法第一五条第二項第一号該当)、本件宅地、建物は住宅街の中にあり、にぎやかな商店街の近くであること(前同項第三号該当)等これらの事実は東住吉区農地委員会が普通に調査すれば容易に判明したはずのもので、これらの事実を看過して買収を相当とした東住吉区委員会の買収計画、したがつて被告知事の買収処分には明白な誤認があり、そのかしは重大であるから、本件宅地、建物買収処分は無効であるといわなければならない。

(四)  さらに本件宅地中別紙図面Dの部分の買収は次の理由によつても無効である。

本件宅地中別紙図面Dの部分には原告ら所有の納屋があり、福松はこれを賃借していたが、右納屋の買収申請をしなかつたことは当事者間に争いがない。

地上建物を賃借する者の申請に基づく建物敷地の買収はその建物とともにする場合に限り買収することができるが(昭和二九年一二月二三日最高裁判所第一小法廷判決、民集第八巻第一二号二二四五頁参照)、建物の買収は申請せずにその敷地のみの買収申請した場合に、敷地のみの買収はできないものと解すべきである。なぜならば自創法第一五条、第二九条で自作農となるべき者のために附帯施設等の買収とその売渡とを定めたのは、そうすることがひいては耕作者の地位の安定、農業生産力の発展に資するからにほかならない。ところで賃借中の建物は買収、売渡をせずにその敷地だけ買収、売渡した場合、それによつて耕作者の地位の安定、農業生産力の発展に寄与するところは別段ないのみならず、建物の所有者と敷地の所有者とが別々になり、その間に法定地上権設定等の法の規定もない結果、建物所有者はその地上に建物を所有する権原を失うという不都合な結果をきたすことになる。したがつて賃借建物の敷地のみの買収、売渡しは法の認めないところというべきである。

真正に作成されたものであることにつき争いのない甲第一九号証と現場検証(第一回)の結果によれば右納屋は東西一二・二メートル、建坪二〇・九九坪の大きさの建物であることが認められ、このような大きさの建物の存在を看過してその敷地のみを買収した処分には明白な誤認があり、そのかしは重大であるから、この点からいつても右納屋の敷地部分の買収は無効である。

(五)  本件宅地、建物の買収が無効である以上、売渡処分もまた無効であり、本件宅地、建物の所有権は原告らにあるというべきである。

三、被告らの時効の抗弁について

被告らは福松に本件宅地建物の売渡通知書が交付されたのは昭和二四年三月一日であるから、この時より一〇年の経過をもつて時効により所有権を取得したと主張する。

しかし昭和二四年三月一日に福松に売渡通知書が交付されたかどうか、これを認めるべき証拠がないが、かりに右主張の日に売渡通知書の交付があつたものとし、時効の起算は同日よりするものとしても本件の場合一〇年の期間をもつて取得時効が完成するとなすのは次に述べる理由により失当である。

自創法による宅地建物の買収は自作農となるべき者からの申請により買収されるのであるが、前記のとおり買収申請適格者は買収農地の売渡を受ける資格ある者すなわち「自作農として農業に精進する見込のある者」でなければならないのであつて、福松が「自作農として農業に精進する見込ある者」といえないことは福松自身もつともよく知つていたはずのものであり、同人は買収申請の資格がないのに申請したのであるから、東住吉区農地委員会、被告知事において買収申請資格を誤認した点はあるにせよ、買収、売渡処分の結果、福松の本件家屋に対する占有が自主占有になつたについては、その占有の始めに過失あるものと解するのが相当である。したがつて時効期間は二〇年で福松の取得時効はまだ完成していない。

(なお別紙図面中Dの部分についてはその地上の納屋は買収されず、今なお原告らの所有で、福松が本件買収売渡後も原告らより賃借してきたことは当事者間に争いがない。このような場合には福松の右敷地の取得時効は完成しないものと解すべきである。)

(結論)

よつて原告らの本訴中、冒頭に記載の不適法の部分は却下するが、被告国との関係で別紙第一物件表記載の(二)の宅地、第二物件表記載の建物が原告らの所有であることの確認を求める請求、被告国に対し買収を原因とする農林省のための所有権取得登記の抹消を求める請求(原告らは「被告国は知事をして抹消登記手続をなさしめよ」との判決を求めているが、その真意は権利義務の主体である国に対し抹消登記手続を求める趣旨と解する)、被告知事との関係で、本件買収ならびに売渡処分(同被告において取り消した宅地一〇・七五坪に対する部分を除く)の無効確認を求める請求は原告ら主張のその余の点を判断するまでもなくその理由があるのでこれを認容する。

(なお原告らは補助参加申出却下の判決を求め、さきになされた右申出許可の決定は無効であると主張するが、その理由は明らかでない。)

訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条第九三条一項本文を適用し、全部被告らの平等負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 前田覚郎 中村三郎 野田殷稔)

第一物件表

大阪市東住吉区平野梅ケ枝町五丁目六二番地

一、宅地 六四坪

右分筆の結果

(一) 同所同番地の一

一、宅地 一〇・七五坪

(二) 同所同番地の二

一、宅地 五三・二五坪

第二物件表

大阪市東住吉区平野梅ケ枝町五丁目六一番地、六二番地上

家屋番号同町一八番

一、木造瓦葺平家建居宅二戸一棟建坪二六・一六坪のうち南側の一戸建坪一三・〇八坪

図〈省略〉

(註)

(1) 符号は検証調書の図面と一致させて付したものである。

(2) 斜線部分(EとGの一部)が六二番地の一

(3) 太枠内(BFD)が六二番地の二

(4) Aは六〇番地

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例